同じような記事書くの何個目だよと思いながら書いています、今。
(同じような記事が有限個流れてくるから仕方ない。)
トピック3つとまとめの文章構成で書いていきたいと思います、ご了承ください。
1.男女比が均等でないことそのものは問題ではないがその結果に対する原因が問題ならその原因が問題。
結構男女比の結果そのものを問題にしている人が多いので、ここら辺が既に自分との考えの違いだと感じます。というよりこの議論をする際にはまずここをはっきりさせた方が良いと思います。
2.先天的な要素について。
「先天的な要素は絶対にないし、さらに言うなら先天的には女性の方が優れているはずだから男女比が現在のようになっているのはおかしい」という意見をしばしば見ますが、現状の統計では先天的な要素があると断言するのも、ないと断言するのも不可能だと思います。(おそらく悪魔の証明になる。)
3.心理的障壁について(後天的な要素)
大学進学における女性側の心理的障壁はかなり指摘されていることですが、自分もこれに関しては部分的に存在すると感じます。(これに関しては大学進学におけるアンケートから確認可能。)
どのような心理的障壁があるのかを以降で書きたいと思います。
3.(1)根本的な男女比の問題について
これに関しては直接的な解決方法としてやはり結果の平等を重視する、というのがありますが、間接的な解決方法として女性が生活しやすい環境づくりをする、というのが挙げられると思います。これに関しては一筋縄ではいかないと感じます。
(2) ((1)と少し似ていますが)男女の会話における障壁について
直球で言うと男性の発言する度を越した性的なネタのことでしょう。ただこれに関しては僕の周りが恵まれているだけかもしれませんが、あまり場を弁えずにそのような発言をする人は少ない印象です。さらに言えば男性でそのようなネタを好む人もいれば嫌う人もいるでしょうし、女性も然りなのでもはや男女がどうの問題でもないと感じます。
(3)(主に親戚からの)女性の大学進学を妨げるような圧力について
これが1番の要因かつ難しい問題だと思います。これに関しては全体の風潮が変わらない限りどうしようもないからです。このような風潮を変えていこうというのが建設的な解決方法であり、フェミニズムの目指していくべき形の1つだと考えます。
まとめ 結果の平等と機会の平等について
これはこの話に限ったことではないのですが、最終的な結論が「結果の平等を選ぶか機会の平等を選ぶかに依存するよね」となっている議論をしばしば見かけます。表現が悪いですがとても建設的な議論には見えないので、予め結果の平等と機会の平等どちらに重点を置いて話を進めるかを定めた方が良いと思います。
今回の話で言えば、まず現時点ではお世辞にも結果の平等と機会の平等両方とも達成されているとは言い難いです。
結果の平等を重視するべきという意見が比較的出やすい理由としては、海外がそうであること(人種に関して言えばアファーマティブアクション)、結果が平等ならば一見平等に見えること、結果の平等は男女間の点数調整をするだけで達成できること、などが挙げられると思います。しかし一方で機会の平等は達成率が目に見えにくいうえに一見本当に平等になっているか見えづらいことから達成が難しいと考えます。どちらを重視する方が良いと考えるかはやはり個人に委ねられるでしょう。ここまで読んできてくれた方なら分かると思いますが僕は機会の平等を重視する方が良いと考える側です。
他にどのような問題があってどのような解決方法があるのか、結果の平等と機会の平等どちらを重視するのか、これを読んでくれた方たちに考えていただけると幸いです、では。