最近バンドリがカバーした
(もうちょっと他に言い方があると思いますがここではこういう書き方でお許し下さい)曲に対して「これってバンドリの曲だよね?」というネタかネタじゃないのかも分からないコメントが散見されることに対して批判が集まっていたり集まっていなかったりするらしいです(雑)
この件に関して、僕が思うことは
その曲が実際に「バンドリの曲」であろうとなかろうとその人が「バンドリの曲」と認知したらそれはもはやその人にとっては「バンドリの曲」なのである
です。
(なんかこの文章下線部引っ張られてこのとき、筆者にとっての「バンドリの曲」とはなんなのか、本文中に最も当てはまるものを選びなさいみたいな感じで試験に出てきそうですよね、どうでも良いですね、はい)
もっと具体的に言うと、そもそもAという曲に対して「これはBの曲である」と表現するとき、Bは一意に定まらず、さらに言えばBはAを聴く人によって様々に変わってくるということです。
例えば最近話題にあがった、「Don't say "lazy"」に対して「これってけいおんの曲だよね?」と言っても批判する人は誰もいないでしょうし、「これって桜高軽音部の曲だよね?」と言っても批判する人は誰もいないでしょう。
しかし、「これって大森祥子、前澤寛之、田村信二、小森茂生(敬称略)の曲だよね?」と言うと批判するとまではいかなくても首を傾げる人が多いと思います。つまり、Bに対して作曲者や編曲者などは当てはまりづらいということです。
では、その曲に携わっているコンテンツや歌っている人ならば正しいのでしょうか。
極端な話、誰もが知っているであろう「交響曲第5番ハ短調 (運命)Op.67」には「携わっているコンテンツ」もなければ、「歌っている人」もいません。
誰もが「ベートーベンの曲である」と認識しているでしょう。
つまり我々はその曲に一番関係が深いと感じている人やものに対して「これってBの曲だよね?」と表現しているのです。
そう考えてみると「これってバンドリの曲だよね」は明らかに間違っていたとしても、その人にとっては確かに「バンドリの曲」であるということが分かると思います。
最後に個人的感想(上も十分個人的感想ですが)
僕はネタにせよネタでないにせよ「これってバンドリの曲だよね?」はかなり好きです。バンドリがカバーしなかったら「これはバンドリの曲である」と認知している人たちはそもそも曲の存在すら知らなかったでしょうし、その認知の錯誤による誰かしらへの損害は考え難いのでそこまで怒ることでもないのかなあと思います。
ちなみに僕はFullverだとRoseliaの「シャルル」が一番好きです。最近だとPoppin' Partyの「ロミオとシンデレラ」も結構好きです。ハロハピだと「ロメオ」とか「恋愛裁判」が好きですね。みなさんもぜひ聴いてみてください。
では。